渇望-gentle heart-
「あたしね、怖かったの。」


俺の胸の中で、百合は少し落ち着いたのか、ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぎ始めた。



「光のひとつも洩れてこない物置も、欲望にまみれたあの街も。」


「うん。」


「だからずっと消えてなくなりたかったし、死んだって良いって思ってたんだ。」


悲しいまでに、言いながら、声を震わす彼女を見た。


熱を失ったような瞳は、どこか遠く、記憶の糸を辿っているかのよう。



「あたしね、今、ジュンがいるから幸せだよ。」


けどさ、と百合は言葉を切って押し黙る。



「けど、壊れることが怖いの。」


「壊れたりなんかしないし、させない。」


それでも、百合は唇を噛み締める。



「自分の足で立たなきゃ、って思う反面で、何にも上手く出来なくて。
こんなんじゃダメだって思えば思うほど、空回りばっかでさ。」


苦しいの、と呟かれた台詞が宙を舞う。


人は強くは生きられないけれど、でもそうありたいと思うことが大切なんだ。



「頑張り過ぎなんだよ、百合は。
ゆっくりで良いって、俺言わなかった?」


「うん。」


「だからこれからは、悲しい時はちゃんと俺に言えっての。」


俺はさ、お前の弱さから目を背けたりなんかしないよ。


受け止めてやる、なんて言えるほど格好良くはないけどさ、でも人って、一緒に泣いてあげることは出来るから。


だって百合は、もう十分すぎるほど苦しんだじゃないか。

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