有料散歩
急な斜面を、木々に助け支えられながら下る。
その名のとおり若草色の新芽が息吹く広葉樹。
ざらざらした桜の幹。
滑らかな百日紅(さるすべり)。
芳郎が下った道すじを春樹が振り返る。
過去と現在がいくつも重なってできた未来。春樹からすればそれこそが現在。
牡丹はひっそりと、覚醒を待っていた。
まだ固く蕾を閉じたままの姿が、いづれ大輪をその頂点に開かせるとは、春樹には信じがたい。
「これが…、牡丹?」
「そう。」
ゆきが間髪入れずに頷いた。
「紅い花が咲くの。」
「紅…?」
そんなはずはなかった。
思い出の中で見てきたその色は、鮮やかな赤紫。
ただの紅、ではない。
どこでどう食い違ったのか、ゆきの記憶は混沌としている。
恐る恐る牡丹の蕾に手を伸ばすゆき。そっと触れた。
このままならば間違いなく開くであろう花。
おじいちゃんとの約束の花。
それを目の前にして、ふと、畏敬の念に襲われる。
怖い、何かだ。
幽霊や闇夜に対する怖さではない。
畏れ。
ゆきが牡丹に抱く嫌悪感は、畏れをねじ曲げたようなもの。
だが、ゆきがそれに気づくことはなかった。
なんとなく牡丹から手を離す。
「あと、半月もしないで咲くと思うよ。ゆきちゃんが帰る頃までにはね。」
夏が開花を見積もった。
時期的にもその頃がちょうど牡丹の見ごろとされる季節だ。
「…うん。」
あれほど固執していたものが目の前にあるのに、ゆきの返答はそれだけ。
「あたし、ちょっと疲れたから、お家に戻ってもいい?」
「んじゃ、戻っておやつにしようか。春樹くんも。」
「僕まだここにいる。」
「え?」
「先に行ってて。すぐ行くから。」
「だけど…、ここ、一人で登れる?」
「春は男の子だもん。大丈夫じゃないの?」
「まぁ、そうなんだけど…、春樹くんはね…」
「大丈夫だよ、夏くん。」
「…わかった。じゃあ気をつけてな。」