有料散歩
「でも…、」
夏の今までにない表情に、春樹は戸惑いと申し訳ないという感情を抱いた。
聞きたいと言ってしまったのは、他でもない春樹だから。
だが、夏は続ける。
「光の粒がひとつもない祖母の蔵。本当に真っ暗闇の中、皆がじっと息を潜めてた。闇の中でも互いの魂の姿は見える。だから皆が同じところを凝視しているのにもすぐに気づいた。何を見てるんだろうと、俺もそこに目を懲らしたら、…祖母がいた。つい先日亡くなったはずの祖母が、小さくうずくまって、そこに居た。」
春樹は目を閉じた。会ったことも見たこともない夏の祖母がうずくまっている姿を想像する。
それはあまりに異様な光景に思えた。
「俺の記憶では祖母は気丈な人だった。いつも何かしら考えていて、すぐに行動に移すような。しゃんと背筋を伸ばして、きびきびと動く人だったはずなのに、その時は違った。小さな子供みたいに膝を抱えて、背中を丸めてたんだよ。俺はその姿が無性にいたたまれなく感じて、駆け寄って背中をさすった。お腹が痛いのか、とか具合が悪いのか、とか声をかけた。でも祖母はうんともすんとも言わない。」
悲しくなった、と夏は言った。
祖母は返事もしてくれない、思い出の粒もひとつもない、周りは黙って見ているだけ。
その異様すぎる空間で、夏だけが意識を持っているような気さえした。
暗闇に、たったひとりぼっちでいるような。
悲しい。
「俺はとうとう、祖母に声をかけるのを諦めた。背中をさする手を止めた。…その時だった。」
夏の普段とは違う低く地を這うような声。
春樹の背中がぞわりと疼く。
「…祖母が顔を上げた。いや、まるで誰かに後ろ髪を引っ張られたように、かくんと首を反らしたんだ。その反動で口が大きく開いて、…口から、出てきたんだ。」
「…な、何が…?」
「…思い出だよ。」
「…え?」
「…ゴムボールみたいに形を歪ませて、出てきたのはでっかい思い出の粒…いや、思い出の塊だったんだ。」