有料散歩
一時的ペーシングのあと、ペースメーカー植込術をすることになった春樹。
かろうじて戻った意識でそれを聞き、春樹は迷わず頷いた。
「生きたい…、」
はっきりと、そう言ったのだ。
両親は込み上げる涙を抑えきれなかった。
なんとしてでも生かせてやりたいと思った。
そうして、手術日が迫り明日はペースメーカーをつける日になった。
「母さん…、」
「なぁに?春樹くん。」
どんなにか細い声でも、喜美子は決して聞き逃さない。
投与している薬のせいでパンパンにむくんでしまった顔を、春樹はゆっくりと傾けた。喜美子を目の端にとらえる。
「夏くんと…、話したい。」
「但野さんと?」
「うん。」
「…いいわよ、呼んであげる。」
山の上の、小さな家。
開け放った窓からの訪問者は風くらいだ。
静かで穏やかな時間が流れるその空間を、電話の呼び鈴が切り裂いた。
「はい。宮前です。」
『あ、但野さん?』
「奥様、いかがなさいました?」
『ええ、今ね、春樹が但野さんと話したいって言うものですから…、お忙しい?』
「春樹くんが…?いえ、ちょうど掃除が終わったところですから。」
「まぁ、それなら良かったわ。今から病院にいらしていただけないかしら?」
「…ええ、大丈夫です。あの……、」
『ああ、心配ないのよ。ただ、ちょっと心細いだけだと思いますの。但野さんと話して落ち着きたいんだと思います。』
「そうですか、なら、すぐに向かいます。」
受話器をそっと戻すと、夏は急いで支度をする。
春樹を少しでも待たせないように、はやる気持ちで家を出た。
山を下る途中で、メープルの葉を一枚拾う。
春樹お気に入りの香しいかおりがする。
きっと春樹は喜ぶだろう。
そうすれば、きっと夏は嬉しくなる。
悲しくない、切なくない思い出の作り方なんて、こんなに簡単だったのかと、夏はひとりでにんまりした。