有料散歩
何度目か、数えるのも億劫になるような病院での生活。手術後の経過は順調で、退院の時期こそ決まらないものの、春樹はいつも笑っていた。
夏はハウスキーパーを続けていて、主不在の山の家を守っている。
週に一度は病院を訪れ、春樹の好きな甘いお菓子を置いていくのだ。
時々、天気の良い日は病院の中庭でそれを食べることもある。そんなときは、お茶係の春樹が小さなポットにお湯を貰い、夏のために丁寧にお茶を煎れた。
「夏くん、はい、焙じ茶。」
「お、ありがとうな。」
秋も深まってきた日曜日。春樹が手渡したプラスチックのカップを受けとった夏。湯気の立つ焙じ茶を手元に置いたまま、春樹が美味しそうに洋梨のタルトを食べるのを見ている。
手術前はあんなにむくんでいた顔や手足も、今はすっきりとして血色もいい。
柔らかい癖のある髪に風が通るたびに、ふわっと遊ばれる毛先まで生き生きと感じられた。
「春樹くんはさ、退院したらどうするか決めてる?」
最後の一口をゆっくりと飲み込むのを待って、夏が尋ねた。
「ん…、」
曖昧に笑って、春樹は自分のお茶を飲む。
そして、カップから持ち上げた顔を、精一杯にんまりさせた。
「夏くんは?」
「え、俺?」
質問が帰ってくると思わなかった夏は、少し躊躇った後に、やっぱりにんまりした。
「思い出を、作る。」
「どんな?」
「そうだなぁ、例えば、春樹くんとスポーツをした思い出とか、けんかした思い出なんかもいいな。旅行に行ったり、勉強するんでもいい。楽しい、悲しい、嬉しい、…そういう風に気持ちを記憶した思い出がほしい。」
「うん。」
春樹が伝えたかったこと。
夏はとっくに気づいていた。
それだけで春樹は嬉しかった。
「あのね、僕思うんだ。」
「うん。」
「僕、今もこうして生きていられて嬉しいって。」
「うん。」
「だけど、僕の命って、僕一人で背負うのは重いんだ。」
「え、ど、どうして?」
生きたいと誰より強く思っているはずの春樹から、意外な言葉が出てきたことに驚き、夏はお茶をこぼしそうになる。
その様子に目を細め、春樹はまた口を開いた。
「僕ね、生きられて嬉しいけど、その嬉しさの何倍もやっぱり悔しいんだ。みんなが出来ることが僕には出来ない、走ったりとか、高校に通ったりとか、さ。なんで病気で生まれてきたんだろうって、どうしても悔しい。楽しい事の後でも悔しい気持ちは消せない。だけどさ、悔しいって思える事も生きてるってことなんだよね。だけど、だけど、悔しいままの思い出は、すごく心が重たかった。」