有料散歩
「春樹くん、昼間のバスの思い出、ちゃんと覚えてるか。」
バスの思い出。
悲しさと悔しさが再び持ち上がってきた。
「…うん。」
泣き出しそうに俯く春樹の頭を撫でながら、夏が続けた。
「あの時春樹くんが悔しいって思った理由って、なに。」
ただ漠然とそう感じた春樹にとって、即答できる質問ではなかった。
あれはバスの気持ちだったのだろうか。考えてみればなぜ悔しく思ったのか。
答に詰まってしまった春樹を見て、夏はにんまりする。
「解ったら、教えて。」
そう言って、ぽんぽんと春樹を撫でると立ち上がった。
「今のとこ、心臓は問題ないと思うよ。苦しいのはきっと気持ちの問題。なにせ、心臓と気持ちは同じとこにあるからね。」
おやすみ、と春樹の頭を撫でて夏は部屋を出て行った。
部屋の中はしんと静まり返っていた。
聞こえるのは壁時計の秒針の、チクタクという規則正しいリズム。それよりもゆっくりではあるが、とくんとくんと確かに動いている心音。
ようやく聞こえてきた自分の心臓音に春樹はいくらか安心した。胸が苦しかったり不安なときは、耳の奥でぼぅっと音がする。そんな時は自分の鼓動が聞こえない。止まってしまったのかと更に不安が募る。
とくん…とくん…と礼砲のような胸の音に耳を澄ませながら、春樹は布団を被った。
スタンドの灯を消して、さっき夏に投げ掛けられた質問の答を探してみる。
悲しい、のはきっとあの女の子が死んでしまったから。ドライバーの青年に詰られたからだろう。
大好きな人が自分のせいで死んで、自分のせいで大好きな人に辛い思いをさせるなんて、どれほど悲しいだろうか。
だけどバスにはどうしようもないことだった。
そして悔しい、のは…。
そもそも悔しいってどんな気持ちだっただろう。
今まで何度だって悔しいと思った事があるはずなのに、どんな時にそう思ったんだっけと頭をひねった。
「思い出の迷路に入っちゃった…。」
思い出の蔵での夏の言葉が蘇る。ふふっと笑って春樹はゆっくり瞼を閉じた。