有料散歩
春樹には、木の思い出はあまりに莫大過ぎて総てを理解することはできなかった。
そもそも木が見ているものは、生態系の命のサイクル。気が遠くなるほどの繰り返しだった。
でもどんな細かいことだって見逃さず、年々刻まれる年輪に折り込んでいく。
春樹が思い出から解放される寸前には何故かほんわか温かくて、今まで塵ほども感じたことのない感覚に戸惑った。
理解できなくて悲しくなった。
春樹の樹はもっと想像もつかないくらいの大樹。
どんな願いを込めて名付けたのかをしっかりと聞いた春樹は、今ベッドに横になっている。
すぐ横にクッションを敷いて父さんがいた。
ベッドに肘を立て、顎を乗せていた。
「…父さん。」
「なんだ。」
「…もう小さな子供じゃないんだから、側についててくれなくても僕寝れるよ。」
「…なぁ、春樹。」
春樹の言葉を遮って父さんが話す。
「春樹はなぁ、病気のせいもあるけど…、狭い世界しか知らないんだなぁ。」
独り言ともとれるような言い回しだ。
「父さんも母さんも心配性で過保護が過ぎたかな。病院と家の窓から見える景色しか知らずに育ててしまったなぁ…。」
苦笑を漏らしながら、嘲笑ではなくふっと鼻で笑う。
「…そんなことないよ。学校だって、…ずっとじゃないけど通えたし。それに僕、結構物知りだよ?勉強だってそこそこ出来るし、いろんなこと知ってる。」
「そうだな、春樹は父さんに似て賢い。」
父さんは、ははっと下腹のほうで太く笑う。
「ただな、世界は広いんだぞ。楽しくて興味深いものがたくさんある。怖がって見ないままでいるのは勿体ないぞ。」
二枚目とはいかないが、キリッとした父さんの目尻には少し皺ができている。
その皺が笑うと更に深くなる。
「だから、これからは怖がらずに何でも見て聞いて、夢を持ってくれたら最高だな。」
「うん。父さんありがとう。自分で言うのもなんだけど、春樹っていい名前。」
「そりゃ、父さんが寝る暇も惜しんで考えたんだぞ。おお、そうだ。世界樹にはな、走り回る出っ歯が住んでいる。」
「ふふ、なにそれ。」
くしゃっと笑い、気になるなら調べてごらんと父さんが言うので、春樹は静かに頷いた。