有料散歩
いつの間にか夏の作ったタイムスケジュールにも体が慣れ、春樹は起こされなくても6時には目覚めるようになった。
カーテンの外、朝もやの森は毎日表情を変え、日に日に息遣いが大きくなっていく。
気の早い山菜たちは枯れ葉の隙間や木の根本でぐんぐん伸びていた。
生命が生き生きとする春が来ていた。
春樹は今日、6時にセットした目覚まし時計に起こされる前に覚醒した。
布団に入ったまま、うーん、と背伸びをした。
階下ではカタカタと微かな物音がするので、どうやら夏は既に起きて何かしているらしい。
いったい夏はいつも何時に起きているのだろうか。
時計の針が5時半を指した所で布団から剥がれた。まず起きがけで一番にやることはカーテンを開けること。
冷たい床を踏み締めて窓際まで行き、勢いよく開け放った。
「あ、やっぱり…。」
窓の外。いつもなら白くもやがかかり、そこに朝日が差し込んで幻想的な景色が広がっているが、今日はクリアだ。
硝子にいくつもの水滴がくっついていて、ふるふると風に揺れている。そうかと思うと耐え切れず重力のままに流れ落ちた。
一粒流れると、それが呼び水になって隣り合う水滴も降下していく。
目覚めてすぐ、湿度の違いでもしやと思っていたが、やはり今日は雨だ。
音もなくしとしととそそぐ優しい雨は、落ちる総てを優しく抱きとめる山の土に染みていく。
そうか、と春樹は納得した。
アスファルトに降る雨はどんなに静かでも音がするのに、土に降ると無音だ。
音のしない雨。窓にすがりつく水滴は焦点を結ばないレンズになり、同じ風景を色んな角度で映し出して見せた。
春樹はその風景と雰囲気を見つめ、厳粛な場にでもいるような錯覚に捕われた。