有料散歩
「痛ましい…悲しいなぁ…」
「…はい。」
「芳郎、儂は戦場に行かねばならん。」
「えっ?」
「アメリカとの戦争で、兵がたくさん傷ついている。」
芳郎の父は軍馬の獣医だった。
日中戦争で負傷した馬を庇護し、時には人をも看護し、今はこの中国に留まり、戦争が終わるのを待っている。
名目はこの地に残された日本の民間人警護と、負傷したまま脱兵した日本兵の保護だ。
「そんな…父さんがいなくなったら、ここの人たち皆が不安になります。」
「心配だが…行かねばならん。後をお前に頼みたい。」
まだ年端もいかない芳郎に後を頼むなんて、本当は心苦しい。
しかし、これの母親は気が強くとも女。
この集落にいるのも、ほとんどが女子供、あとは重傷を負った怪我人だ。
健常の、日本男児、芳郎はまだ10になったばかりだが、勇ましく優しい良い息子に育ってくれた。
芳郎は曇りのない瞳で父を見据え、
「ご無事をお祈りしています。」
歳に似合わずかしこまって頭を下げた。
「戦争が終わったら、ここの皆で國に帰ろう。」
「はい。父さんも一緒に。」
「もちろんだとも。皆で無事に郷土の懐かしい匂いに包まれたいものだな。」
笑い皺の目尻に熱いものがたぎっていた。
なんとなく、芳郎にはそれがひっかかり、父を引き止めたい衝動にかられる。
だが、ついいましがた送り出す言葉を吐いたこの口。
日本男児たるもの、己の言葉を裏返すなどみっともない。
芳郎は言葉を飲み込み、父の戦場へ向かう背中を見送った。