鏡の中の僕に、花束を・・・
決して映ってはいけない。目指すのは、はじめに奴が現れた洗面所だ。まるで、匍匐前進するかのように、床に這いつくばり鏡の下に来た。鏡には天井しか映っていない。
素早くスプレーを取り出し、一気に吹きつけた。鏡はすぐに真っ黒になった。
いい感じだ。僕が映るような場所はない。これならイケる。
玄関、風呂場、そしてトイレにある小さな鏡。その全てを真っ黒にした。もう、スプレーの中身はない。それくらいにどの鏡も、執拗に吹きつけたからだ。
最後が難関だ。スプーンのような小さい物。それ以外にも、リビングのテーブルとか、奴が現れそうな場所はごまんとある。スプレーも使ってしまった。それに数が多すぎる。どうしたら、いいのだ?
考えに考えたが、いい考えなど浮かんでこない。代わりに頭を過ぎったのは、尿意だった。トイレにある小さな鏡。あれが怖くてトイレを我慢していたのだ。でも、それも限界だ。
「う、うぅ。」
情けない声を出しながら、トイレに駆け込んだ。
塗り潰したとはいえ、右側に鏡がある事に変わりない。実に落ち着かない。チラ、チラ、チラと何度も横目で確認した。
が、僕が確認すべきはここではなかった。
「ふう。」
下を見た。この時、心臓を鷲掴みにされたかのように、恐怖に震えた。いる。奴はトイレの水の中で、ニヤリと笑った。
「う、うわっ。」
慌ててズボンを履き、逃げようとするが、ベルトが引っかかり、なかなか逃げれない。
「うわっ。うわっ。」
手元が覚束ない。必死にベルトを止めようとするが、無理だ。
奴の手が、僕の首の後ろを掴んだ。そのまま、便器へと引きづりこまれる。僕の体勢のマズさも良くない。それも手伝って、目の前に水が迫ってきた。
ベルトから急いで手を離す。便器の淵に手をついた。筋肉が隆起する。どうしても死ななければいけないとしてもだ、便器に顔を突っ込んで死ぬのだけはゴメンだ。その意識も更に力を入れさせる要因になっていた。

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