深く、高く。~観念世界2~
「大丈夫だから」

私は声に出してその言葉を呟いた。
声に出してみたら、本当に大丈夫なような気がしてきた。

そして、額に何かが触れるのを感じる。

来た、と思った。

私は落ちてくる私のその恐怖に歪んだ顔を福音のような心持で迎えた。

私は昇っている。

スローモーションのようにゆっくりとすれ違う間に私は全身が歓喜するのを感じた。

その上で生きる事を諦めた私を目の前にして、それが恐怖の表情を浮かべているのを見て、私は苦笑いをする。
この時点で、死んだつもりでいるこの女はまだ感情のある生身の女。
そして死んだつもりでいるこの女はこの後自ら可能性を見出し生きるために必死で手を伸ばすのだ。
さっきあれ程までに諦めていた生きることへの欲求を、死んだ方がいいのに、と理性で抑える事もせず。
そう思うと何だか自分の事ながら滑稽だった。

落下するつま先を見送り、もし私がここで大丈夫だよ、と言わなければ、あの私はどうなるのかな、と意地悪な事を考え、それでもと思い、落ちて行くつま先に視線を落としながら出来るだけ大きな声で私は
「大丈夫だから」
と言った。
それ以外にかける言葉は思いつかなかった。

自分がそう言われたせいもあるだろうけど、何よりもあの女はまだ生きている。
誰が何も言わなくてもあの棒を見つければがむしゃらに手を伸ばすだろう。

伸ばせばいい。私がそうしたように。
そしてそれを掴み、自分が生きていることを実感すればいい。
それまでどう思っていたとしても。

「大丈夫だから」

私はもう一度、私だけに聞こえる声でそう言った。
あるいはこの言葉を口にして手を伸ばしたらあの大きなミスですら、どうにかなるのではないかと思った。
いや、なるだろう。
大きな暗闇に落ちるよりも重いミスなんてきっとない。

視界に光がさす。

それはやがて私の周りを満たす。

眩しいけれども私は目を閉じることなくそこに向き合い、大きく手を伸ばした。

《おわり》

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