あひるの仔に天使の羽根を
「でさ、あたしは"その時"に"深淵(ビュトス)"の塔ってのに行くけれど、由香ちゃん、後お願いね?」
「神崎、君もか!!! 誰も彼も…どうしてボクに押し付けるんだい!! で、一応聞いておこうと思うけど、君は何を企んでいるの?」
あたしは口を開いた。
「櫂が何を考え、皆がどう動くのか判らないけれど。万が一…相手の方が櫂より上手であったのなら…あたしは13年前の記憶っていうのを思い出す」
「え?」
「そりゃあ簡単にいかないだろうけれど、しかも…蒼生ちゃんも"今を忘れる"ってことを否定しなかったし、不安は凄くあるけれど。だけどね、あたしの邪痕が皆を追い詰めているのはよく判るから、あたしは何が何でも記憶を取り戻す」
「その為に、"今"を忘れたら?」
「だからね、由香ちゃんにお願い。今書くから…これ、万一の時、その時のあたしに渡してくれる?」
それは懇願。
「あの夢が記憶に繋がっているというのなら、少しずつ…思い出しているってことになるのかな。このままでいくと、何かの拍子でひょっこり思い出すかもしれない」
そしてそれは――惧れ。
漠然としたものの輪郭が明確になるのつれ、あたしの禁断領域を侵す…そんな危懼がある。
そこを侵された時、"今"を忘れるだけのものですむのか、判らなくて。
「……ここの紙を拝借して…こんな感じでいいかな。ということで、後お願いね」
しっかりと手渡せば、手渡された由香ちゃんは凄く困った顔をしていて。
「責任重大だな、ボク……」
「そうだね、だけど困った時…何故か由香ちゃんに頼りたくなる。これも人徳だと思ってさ」
あたしが笑うと、由香ちゃんは泣きそうな顔をして唇を噛み…俯いた。
「ボクは…出来た人間じゃないんだよ?」
そして上げられた顔は。
今まで見たことがないほど、暗い…陰鬱なもので。
その翳りに、あたしは由香ちゃんの闇を見た気がした。