あひるの仔に天使の羽根を
「……櫂様、"約束の地(カナン)"のルールに乗っ取れば、"中間領域(メリス)"に入るのは日が沈んでからということになります。ですが……櫂様?
――櫂様?」
桜が何度も呼ぶはめになる程、櫂は俺達をじっと見つめていて。
「紫堂!!!」
遠坂の叫び声で我に返ったらしい。
酷く苦しげな顔をして乱暴に前髪を掻き上げて目を伏せると、そして俺達に目を合わせた。
怜悧ないつもの切れ長の目。
『気高き獅子』。
俺でも惚れ惚れする主の姿がそこにいて。
「俺が行く」
そう言った。
「櫂様、そういうことは桜に」
慌てて桜が櫂を制した。
「そうだ、俺だってもう動ける」
俺も桜に同調した。
「馬鹿言うな。負傷の桜や煌に命じる程、非情な俺じゃない。それにこの地は、俺の紫堂の…闇の力が使える」
そう、櫂は服の下の血染め石を触った。
それは愛しそうに。
俺の隣の芹霞がびくっと震えて、少し顔を櫂から背けた。
櫂は少しだけ傷ついた顔をして、石から手を離す。
「櫂、あたしが行っちゃ駄目かな」
深呼吸をした芹霞が俺の手から抜け出て、真っ直ぐに櫂を見た。
「……駄目だ」
櫂は静かに却下した。
「元はと言えば、あたしのせいだもの。行きたい」
「駄目だ」
「総大将が行く必要がないじゃない」
「何が出てくるか判らない処に、お前を行かせるわけには行かない」
「じゃあ、煌か桜ちゃんに付き添って貰う」
「駄目だ」
そこは、静かな闘いのような光があって。
「……。俺と一緒ならいい」
「……それは嫌」
すると、櫂の顔が悲痛に歪められた。
「そこまで俺を拒むのかよ……」
それは小さい小さい、掠れた声で。