音楽のある世界へ(仮題)
ふたりは黙って歩いていたが、
足は止まらなかった。

「あは、こっちホテル街だよね」

瞬はつとめて明るく口を開いたつもりだったが、
目は笑っていなかったかもしれない。


彼女は黙って微笑むだけだった。


瞬の欲望は渋谷の円山町で小さくはじける。

「放熱の証しだな」心の中でつぶやいた。

選び方がわからなかったので、
街角を左折して、一番無機質に感じた
入り口へと進入した。

「こういうとこよくくるんだ」

と、彼女はつぶやいた。





302号室のドアを開けると
瞬は、彼女を激しく抱きすくめた。


「痛いよ」と、言った彼女は笑っていた。


ふたりはまた激しいキスを交わした。


まるで自分の存在理由を示すかのように、

瞬は彼女の肉体を求めた。

白く

しなやかな肉体であった。




瞬はそのときまで
女性とまじわったことはない。


このときこそが瞬にとっての初体験であった。


もちろん彼女が今までどんな男性と
どんな関係性を築いていたかは知る由もなかったが、




その瞬間に


この腕の中にいるというだけで


心の底から満足感が湧いてくるのを感じた。


初恋

という言葉の持つ、甘ったれた感情とは
違う、

苦くて、酸っぱい 感情が
心の底から湧き上がるのを感じていたのだ。




暗いラブホテルの室内で

ふたりの息遣いだけが聞こえた。


この広い宇宙に

たったふたりだけが
生きているような気がした。


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