凶漢−デスペラード
「それなりの格好して、それなりのもん喰わねえと、上には昇れねえぞ。時には見栄を張る事も必要だからな。」
「判りました。」
「肝心の店だが、マークシティの近くにあるエムズというマンションの903号室が受け付け事務所になってる。すぐにでも顔を出しときな。」
「はい、そうします。」
大役を任されたとか、これで自分の懐が多少は暖かくなるといったような感覚は、竜治の心には芽生えなかった。
一つだけ喜ばしい事は、田代と縁が切れるという点だ。
尤も、親栄会の息が掛かってる間は、何処かで顔を合わすだろうが……
「じゃあ、これで失礼します。」
テーブルの上に投げられたカルティエの札入れに手を伸ばそうかどうか躊躇してると、
「忘れもんだ。」
「すいません……」
札入れを受け取って玄関に向かうと、女が見送りに来た。
「兄は口が悪いけど、気にしないでね。また、いらして。」

兄?イロじゃなかったのか?

「久美子、俺の悪口をそいつに吹き込むなよ。」
快活に笑う澤村の声が、妙に眩しく感じた。
「神崎っ。」
「はいっ。」
「のし上がれ。」
「……はい。」

澤村のマンションを出、道玄坂を当ても無く歩いた。
竜治の頭の中は、この数十分間の出来事を交通整理する必要があった。
寝不足で、朦朧としかかった意識を醒ますかのような話し……
普通に考えれば、飛び上がる位に喜ぶべき事なのだろうが、竜治には余りそういう感情が無かった。

変わった奴……

田代も含め、親栄会の連中は竜治をそんなふうに思っている。

自分でもそう思う……

喜怒哀楽の感情が、他人より欠けているのかも知れない。
八年もの刑務所生活で、ひょっとしたらそういったものをスポイルされてしまったのかも知れない。
それでも、少しずつだが、事の重大さを認識するようになった。
(のし上がれ…か)
澤村の言葉が耳元で繰り返されている。

のし上がった先に何がある……

竜治の身体の中に巣喰う得体の知れない物が、徐々に目覚めようとしていた。
それは、彼自身が、過去に無意識のうちに封印した物である。
それが再び、本人の意識の外で眠りから醒めようとしている。

冬が近い。
肌に触れる風にその事を感じながら、竜治は何年か振りに明日というものを意識した。
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