凶漢−デスペラード
「…ずっと好きだった…一時、真剣に義兄のお嫁さんになりたいなんて思っていたのよ。駆け落ちした時も、本当はその相手の人と本気で一緒になりたくてしたんじゃないの。勿論、その人の事は嫌いじゃなかったけど、義兄に対する気持ちの方が強かったの…その気持ちを断ち切りたくて一緒になったのかも知れないわ…けれど、そんな気持ちのままで、男と女が上手く行く訳が無いわよね…竜治さん、貴方はジュリという女の子の死を背負っている…私は、愛してはならない男を生涯忘れられないという業を背負っているの……」

何か言葉を掛けなきゃと竜治は思った。
だが、澤村の時と同様、何も出て来なかった。

寧ろ、敢えて言葉を飲み込んでいたのかも知れない。

今、自分の思っている事を言葉にしようとすれば、かえって崩れそうになっている久美子の心を余計に掻き乱してしまい、支えて上げる事が出来なくなると思った。

無言でいる竜治の心の奥底を察したのか、久美子は涙を拭いながら笑った。

「私達が泣いてばかりじゃ、義兄も安心して死ねないわね。」

「じゃあ、もっと泣いて泣きわめいて、澤村さんを心配させて、死なせなきゃいい。」

「そうだね…それもいいかも……」

「思い出した…」

「え?」

「愛の讃歌だ…店で最初に聴いた曲…」

「エディット・ピアフ…覚えてたのね。」

ゆっくりと、竜治にしか聴こえない位の声で久美子はその歌を歌い始めた。

決して暗いメロディではないのに、何故か竜治には物悲しく聴こえた。

初めて聴いた時とは違う感情の沸き上がり方に、込み上げて来るものを感じた。

「いい大人が何時迄も湿っぽくしてちゃいけないわね。」

久美子の言葉に頷き、

「出よう…」

二人は暫く歩いた。

ふと空を見上げると、都心には珍しく星が見えた。

「久し振りに星を見た気がするわ……」

「今夜は、一人で居たくないな……」

久美子の腕が、遠慮がちに組まれて来た。

「今夜だけ?」

「今、いっぺんに言うと勿体無いから、明日の夜になったら、又、そう言うよ…」

ゆっくりと、ゆっくりと二人で居る事の実感を噛み締めながら、歩みを進めた。
そして、その歩みの先には、澤村の死という哀しみが待っている事も、二人は共に感じていた。
< 120 / 169 >

この作品をシェア

pagetop