失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
業火
僕の手元に一通の手紙が届いたのは
あの別れの寒い夜から二日経った
兄のいない休日明けの午後だった
学校から帰った僕の机の上に
一通の茶封筒が乗っていた
宛名は僕の名前だったが
差し出し人の名前はなかった
僕には普段切手を貼った封書など
ほとんど来たためしはない
僕は何か不穏な思いを覚えながら
その封筒を開いた
それは死者からの手紙だった
『前略
この前は本当にありがとう。この手
紙を君の兄に見せるかどうかは君の
判断に任せる。
君も知っている通り、私の命はそう
長くない。君が来てくれるのすら間
に合わないかも知れない。だから手
紙として書くことにした。
書く体力があまりないし、いつ何時
出血が起きるかわからない。この手
紙も生きているうちに君に届く保証
はない。
手短に話す。あいつを陥れたのはは
っきり誰かはわからない。だがあい
つに私の吐血と入院を知らせなかっ
た人間がいる。呆れないで聞いて欲
しいが、その男と私はつい最近まで
肉体関係にあった。私の愛人のよう
な関係の者だ。彼がその日私の部屋
に来ていて、吐血の介抱をしてくれ
た"知り合い"だ(と君に話したと思
う)。私は彼に伝言を託したがそれ
はあいつに伝わらなかった。彼とあ
の日会っていたのは、人生の最期に
するべきことのために彼と別れ話を
していたからなのだ。自分でも驚く
が、その者とのただれた不誠実な関
係を死に際に持ち込むことはその時
の私にはどうしても無理だった。
君の兄…私の息子に対して私が行っ
た非道な仕打ちを死ぬまで謝罪し続
けなければならないからだ。私には
自分をあいつの親と呼べる資格など
ない。だが人生の最期に私がしなけ
ればならないのは息子への贖罪だ。
あいつに許して貰おうとは思わない
し、むしろ憎んでくれたほうが私の
死を悲しまないでもらえる。だがあ
いつは私の命が長くない事を知り私
の贖罪のために私との時間を作って
くれたのだ…』