失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】



窓の中の光は揺れていた

まるで生き物のように影が揺らぎ

昼に見た兄の部屋とは思えないほど

不思議な色をしていた



揺れているのは蝋燭の炎だった

部屋の電気は消されていた

二本の蝋燭の光だけが

不気味に部屋を照らしていた

揺れる影の源を追って

僕は窓の下へと視線を落とした



ベッドの上に

兄が横たわっていた

だが兄はただ寝ているのでは

なかった

兄は全裸にされ

頭の上で手を手錠に繋がれ

縄でベッドに足を

縛りつけられていた



それはまるで磔のようだった

僕の視界の外から

兄の横に移動していく誰かの姿を

僕の目が捕らえた

黒い髪に痩せた白い顔

白いシャツと黒いスーツのズボンに

長身を包んで

手には革の黒いベルトを握っていた

端整な顔は冷酷で無表情だった

彼はベルトを振り上げ

そのまま兄のみぞおちに

振り下ろした

兄の顔が痛みに歪む

ベルトを打ち下ろす音が

窓の外に洩れてくる

良く見ると兄の身体には

もう無数のベルトの痕が赤く刻まれ

皮膚が切れ血が滲んでいた

男はなおも兄の身体を打ち据えた

何度も

何度も

兄の身体が反り返りしなる

だが

兄の顔は次第に恍惚として

その仕打ちを受け入れているかの

ようだった





やっぱり

やっぱり

やっぱりそうなんだ

やっぱり兄は自分を棄てて

空虚を苦痛で埋め合わせてた

そしてやっぱり

あの男に絡め取られていた

まるでカマキリに捕らえられた

蝶のように

魂を貪られて生きたまま

葬られるかのように




ベルトが兄を激しく打擲する

男は悶える兄の顔を見ている

男の視線を兄が捉える

二人が見つめあっている



すると兄は

かすかに微笑んだ





< 117 / 360 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop