失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】




ゆっくりと

目が覚めた

車の中…じゃないのか…

昨日と今日がごちゃ混ぜになって

此処が病院だと気がつくまで

数分かかった

人の気配があった

思うようにならない瞼を

ようやく開き気配の方を見ると

コートも脱がずに母が立っていた

泣きながら…





「ようやく…気がついたね」

母が僕の顔を覗きこんだ

昨日と違って母の顔を見ても

僕はもうパニックにはならなかった

「おはよ…」

母は泣きながら笑った

僕は泣いている母を初めて見た

喉がカラカラで声が出なかった

「みず…欲しい」

母は急いで枕元の吸い口を取り

僕に飲ませた

「気分…どう?」

「…ぼーっとしてる」

「痛いところない?」

「…今は…ない」

母がナースステーションに

僕の意識が戻ったことを

急いで知らせに行った

検査と問診が再び始まった






医師は僕の倒れた日の前後について

詳しく尋ねてきた

僕は買い物の帰りに急に

パニックになり倒れてから

何も覚えていないと嘘をついた

僕は平衡感覚に問題があるらしく

今のところまっすぐ歩けないが

昨日撮ったCTには異常はない

と医師は説明した

頚に問題がないかMRIでの検査を

することになり

観察入院は少し長引きそうだった






病室に戻った

母がいつもと違う

思い詰めた顔をしていた

ナースの押す車椅子から

ベッドに移されて

再び僕はベッドに横たわった






僕らは無言のままでいた

しばらくして母が口を開いた

「話しても大丈夫?」

「…うん…いいよ」

「なにか…あったんでしょ?

この頃…ん…もっと前から…なんか

張り詰めてる感じがしてた」

母は当然だが察知していた

僕は言い訳をはっきりしない頭で

しばらく考えた

「先が見えないんだ」

「先?」

それは嘘ではなかった




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