失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
母は僕ではなくまるで
独り言のように淡々と語っていた
母は急に僕が聞いていることを
思い出したように我に返った
「これから先は…あまり詳しくは
言えない…あなたもまだ高校生だし
でも…分かるわよね…今の子は
早いから…」
母は言葉を濁した
「気がついたら私は彼と二人きり…
いとこは家に送って行ったって言わ
れた…そこは居酒屋じゃない場所で
私は彼から…迫られた…その時の
気分といったら…天国のようだった
彼が私を愛してくれていた…私も
告白したわ…心も身体も彼にその日
あげた」
母は息子にはとても言いにくい事を
無理して言ってくれた
そして次の言葉に僕は戦慄を覚えた
「私はその日…妊娠したの」
母はそう言うと脱力したように
首を項垂れた
母の右手が膝から落ちていた
「…お兄ちゃんよ」
「そん…な」
僕は思わずそう呟いた
「妊娠したとわかった時…私はね…
本当に嬉しかったの…信じられない
ぐらい…こんな幸せはないって…
心から思った…出来ちゃった結婚
だったけど…互いの親も祝福して
くれた…いとこはそれ以来私に距離
を置くようになった…親友と従姉妹
が結ばれて少し嫉妬しているんだと
二人で言って納得したけど…」
母の目に涙がにじんだ
「それは…違ったの…全部…全部…
仕組まれて…た…あのひ…と…は
私のことなんか…まったく…愛して
なんか…いなかったのよ…まったく
あの人が…愛していたのは…
彼の親友…私のいとこだった」