失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
 


「…あれは…冬の寒い日曜日だった

…私は風邪をひいた母に頼まれて

年末の買い物をしに出掛けることに

なった…彼があの子を見てるから

っていつものように快く送り出して

くれた…駅まで行って切符を買おう

としたらお財布を忘れたのに気がつ

いて…すぐに家に戻った」

母はベッドの布団を握りしめていた

「普通はね…玄関で"ただいま"って

必ず言ってたの…でもその日初めて

ちょっと二人を驚かそうって…私は

ほんの軽い気持ちで思った…玄関を

そっと音がしないように開けて中に

入った…居間の扉が少し開いていた

二人が私のいない時にどんな風に

遊んでいるのか見たくて…私はその

隙間から…そっと居間を覗いた…」

母の声はかすれて消えそうだった

「そ…こで…私は…見ちゃいけない

ものを…見てしまった」

母は再び泣き崩れた

長い長い固い封印が留めていた涙が

一気に流れ出してきたかのように

「私は最初…何が起きているか…

分からなかった…いえ…分かりたく

なかった…長い間私は二人を見てた

どうしていいか…頭の中が真っ白で

身体が硬直して…そこから一歩も

動けなかった…しばらくして…私は

何もなかったようにそっと玄関を

開けて外へ出た…自分が見たことが

この世のことだなんて信じたくなか

った…悪寒とパニックで自分が何を

しているのかさえよくわからなくて

私は冬の町を幽霊みたいにさまよい

続けた…」






僕はずっと母が兄とあの人の関係を

知らないと思いこんでいた

だが僕は

またしても自分の認識の甘さに

自分が裏切られたことを知った

「歩きながら私は少しづつ正気に

帰っていった…私は迷わなかった

あの子をこれ以上あの人に触れさせ

ないと…私はカバンに入っていた

十円玉で母に買い物に行けないこと

を連絡した…そして家にもう一度

帰った…彼と話し合うためにね…」










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