失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
供儀
僕は思った
兄はもう生きているだけで
充分過ぎるくらいに
この世のつとめを全うしてるんだと
脳裏に兄のイリュージョンが
夢魔の誘いのように
或るイメージとして浮かびあがる
身体中に赤い毒血で刻まれた
呪咀の刺青
それが暗く発光するたび
兄が身体を捩り悶え苦しむ
身体を掻きむしって
血まみれになる兄の肌
触れたものが破滅していく指先
誰も俺に触るなと怯えて叫び…泣く
苦しみ過ぎて隠れてしまった魂
空っぽのハート
その空虚を満たす闇
毒血の匂いに惹かれて集まってくる
禍々しい淫魔の群れ
虚ろな兄の瞳から溢れる涙
それすら業火に炙られ
すぐさま蒸発してしまう
もう…いい
充分だよ
これ以上がんばらないで…
ひとじゃなく
自分を助けてあげて
朦朧とする意識
僕も…限界…なんだな
兄貴と違って
全然…堪え性がないや
僕のキャパはいつも小さい
すぐ耐えきれなくなる
兄貴には…なれないよ
でもそれが…普通だって思うよ
言い訳…だけど…ね
身体が苦しい
死にそうな疲労感
目が開けられない
息苦しい…な
寝ているのか起きているのか
自分でもわからないような時間が
長く続いた
その薄い意識の中
いつからか誰かに手を握られて
いるような淡い感覚があった
僕は誰かを問うこともなく
その手の感触に安らぎを感じていた
長い長い夢魔の誘いが次第に溶け
僕の意識が普通に近づく
誰かの気配をベッドの横に感じて
うっすらと目を開けた
焦点が合わずにぼんやり映る部屋
母がいる…
そう思い
僕はそちらにゆっくり
首を回した
そこに居たのは
兄だった