失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
そのうち涙の中で兄は
途切れ途切れに呟き始めた
「…お前があの時…手首切ったのが
ようやく…わかった」
兄は自分の手のひらの傷痕を
じっと見つめていた
すると突然兄は泣きながら笑った
「俺は…お前を解放することしか
決めてなかったんだな…俺はお前か
ら手を離される覚悟なんて…なかっ
たんだ」
兄は本当に笑っていた
「俺はバカだ…どうしようもない
お前から言われなきゃわからない
お前を自由にすることのリアリティ
を全くわかってなかったんだ…
あははは…どうするんだ…俺は」
兄は涙を落としながら笑っていた
「悲しすぎて…自分の言ったことが
茶番にしか見えない…茶番にしか…
どんな覚悟?…聞いて呆れる…!」
兄は笑うのをやめた
「こんなに悲しかったら…生きて
いけない」
兄はベッドから床に崩れ落ちた
「なぜ…?なぜこんなに愛しい
なぜ…自分の心を叩き潰してまで
決めたことが…なぜ…」
終わらない兄の慟哭
僕は何をしたの?
…兄と同じことを
「いつも…同じイメージが俺の中に
繰り返し顕れる…小鳥がいて…
可愛い小鳥がいて…手の中で包んで
いつも胸に抱いているうちに…いつ
しか小鳥は…手を離しても飛ばなく
なって…あんまり長く手の中にいた
から…飛びかたを忘れ…て…」
兄は両手で頭を抱えた
「俺はいつもゾッとして考えるのを
無理矢理やめる…でもそれは…また
浮かんでくる…お前にした俺の
取り返しのつかない間違い…でも
小鳥は…初めて飛び去る…そして
俺が本当に恐れていたのは…」
兄は顔を挙げることもなく
床に崩れたまま話し続けた
「俺がお前を手放せないことだ」