失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
その夜はヤツからのメールは
戻って来なかった
「さ…そろそろ寝よう」
遅くまで返信を待つ僕に
兄が声をかけてくれた
「こういう時は眠るのが一番だ」
兄は机に預けた僕の頭に
ポンと手を置いた
「寝たら朝になる…寝ないと長い」
兄は先にTシャツに着替えて
僕のベッドに上がり上から呼んだ
「寝かしつけてやるから…おいで」
僕は安心の鍵を拾いに行くみたいに
はしごをかけ上った
「このまま寝ちまえ」
兄は僕に腕枕をしながら囁いた
「大丈夫だよ…」
肩を柔らかく抱かれて僕は
スッと眠りに引きこまれていった
一瞬で目覚ましが鳴った
ずいぶん深く寝たものだ
兄は大学院の始業時間が早いので
もう先に起きていて
いつもの通りベッドにはいなかった
たいがい兄の目覚ましが鳴るのを
かすかに聞いているのだが…
ベッドから降り机の上のケータイを
急いで見る
メールの受信はなかった
ちょっとがっかりして
少し不安になった
不安はともかくとして
物凄い眠さに朦朧としながら
居間に降りていった
いつものことではあるが
やはり学校にギリギリで到着した
自転車を駐輪所の端に止めて
ダッシュで下駄箱を経て
何人かと共に階段を駆け上がる
(大体メンバーは決まっている)
1~2分の余裕をかまして
教室に辿り着いた
ドアをガラッと引き開ける
脇目もふらず自分の席について
一息入れた瞬間
ハッとしてヤツの席を振り向いた
ヤツがそこにいた
ヤツは僕をチラッと見た
僕は思わず微笑んでいた
ヤツはそれを見るとにわかに
きまり悪そうに反対側を向き
わざとらしく頬杖をつき
顔をしかめてみせた
再会初日にしてはまずまずの挨拶だ
先生がドアを開ける音がする
僕はそのニヤニヤしたままの顔で
前に向き直った
起立の声に椅子から立ち上がる
休み時間が待ち遠しくなった