失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】

死にかけた心




兄が僕の前からいなくなってから

僕はひっそりと息を殺して暮らした



僕は兄の罪悪感と同じものを

兄を凌辱して知った

僕のせいで兄は出て行った

僕のせいで兄は兄の父親を捨てた

僕のせいで兄は追い詰められた

僕のせいで兄は破滅しかけてる

僕のせいで

僕のせいで

僕のせいで



兄が自分を責め続けたことが

まるで自分のことのように

解るようになった

兄が「死にたい」と口走った

その意味も



僕は自分を責め続けた

音楽すら聴けなくなった

僕は慰められる資格などないと

僕の心は罰せられることを望んだ

取り返しのつかない罪の重さに

僕は兄の心だけじゃなく

牢獄で自分の犯した罪をあがなう

罪人の心の重荷すら思った

取り返しがつかない罪を負うこと

一生消えない十字架を背負うこと

僕は力なくフッと笑うようになった

兄が絶望の淵で微笑む顔が浮かぶ

なぜ笑うのかあの時は解らなかった

だが今ならわかる

自分の無力さとあまりの未熟さを

そしてこの呪われた運命を

受けとめて心が死んで

そんな自分に笑いかけるしかない

嘲笑や冷笑ではないんだ

自分を諦めた時の

…言葉に出来ない滑稽さなのか

自分への憐れみ…なのか

少し笑う

泣く替わりに…少し笑う

そして心は死に

罪と贖罪と罰だけが

人生を占めて離れない



兄貴…ごめんね

わかってなかったよ

兄貴の圧し潰された心…

死にかけて絶望して諦めて

笑ってたんだね…

今なら少しわかるよ

僕も兄貴と同じように笑ってる…今

なんですべて

受け入れられなかったんだろう

あの追い詰められた兄の…想いを

選ぶことの出来ない

ひとつしかない道

戻ることも立ち止まることも

許されない一本の道

人はそれを運命と言った

宿命とも

僕は今まで運命という言葉の意味を

理解していなかったんだね

兄貴…

今なら少し…解るよ…










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