失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
部室では焦りまくった先輩が
ヤツの到着を待ち構えていた
「このバカ!…このテイタラクは
一体なんなのよ!いつも減らず口
叩いてこんな肝心な時に病気だって
もぉー信じらんない!」
「すんません」
ヤツはさすがに謝った
「キモッ…お前謝れたのかよ」
非難した先輩が一瞬引いた
ヤツの雰囲気がいつもと違うのを
先輩も感じたみたいだった
「と…とにかくさ…今日録音して
先生に編集してもらわないと…マジ
間に合わないからっ」
「とりあえず練習シマセンか?」
ナヲさんがフォローする
僕はチラッとヤツの顔を見た
ヤツの目が虚ろに床を見ている
辛そうで…見てらんないな
とりあえず僕は時間稼ぎに出た
「あ…あのさ…ナヲさん最初だけ
一回歌ってよ」
「え?ワタシ?」
「あ…うん…あのスゲエ上手いのを
こいつだけ聴いてないだろ?」
「ああ…ホントはハモり付けたいく
らいだよね…お前が下痢ピーしてな
かったらもっと完成度高い曲に仕上
がったのになぁ」
と先輩が悔しがった
「聴きたいな…」
ヤツは呟いた
「お前…そこは“オレのマイクを
返せ!”だろ?」
先輩がまたビビる
「お前まだ熱でもあるの?」
「ハーイ!ではやりましょ」
うちの後輩は素晴らしい
「はい!位置に着いてー」
先輩の指示で
僕はストラップを急いで被った
ナヲさんのスティックが合図を出す
「1、2、3、GO !」
前奏のメロが僕の指から流れていく
ナヲさんが歌い始めた
君にこの愛をあげる
誰にもわからないように
君に愛の言葉を告げる
君だけに届くように…
その声を聴きヤツがいきなり
驚いたように伏せていた顔を上げた
ヤツは呆然とした顔で
ナヲさんの顔を見ていた