失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】




それは多分オペラ…とか言う

クラシックの一節だろうか?

ソプラノの女性の声(ソプラノは

全部女性だと後から知る)

がオーケストラをバックに

ソロで聴こえてきた



えっ?

これ…ナヲさんの声?




びっくりしてる僕の顔を見て

ヤツは言った

「驚くだろ…」

「マジか」





その声は音楽の先生の歌声だった

「音大の卒業記念コンサートのCD

だって…オペラの主役でさ」

プッチーニの『蝶々夫人』

とかいうオペラだと

ヤツは説明した

「先生さ…この曲好きだって」

「そうか…なんて曲?」

「『ある晴れた日に』っていう曲

遠くに行った恋人が帰ってくる船を

待ってる歌だって」

「驚いた…」

僕はそう言ってその曲に聴き入った

「ありがと」

曲が終わり僕はイヤホンを

ヤツに返した

「じゃあな…いろいろ心配させて

悪かったな」

ヤツは下を向いてボソッと言った

「今までのを返しただけだし」

「今までの…?」

「こっちも少し前までピンチだった

から…お前には声掛けてもらって

本当感謝してるし」

「よく…覚えてねーよ」

ヤツは手を振りそのまま

帰っていった





ヤツの大事な歌を聴いた

正直泣けてきそうで困った

そして僕にもある…それ

偶然かシンクロかわからないけど

しばらく聴かないようにしてた

忘れたいことのひとつだから

不意に思い出してしまうけれど…

生きているのか死んでいるのかさえ

わからないから

でもこんな風にいつか

その結果をつきつけられたら…

辛かったろうな…ヤツは

でも少しづつ癒され始めている

糸が切れるような安堵の気持ちと…




僕は再び考えるのをやめた

本当に忘れたい

苦しいからね

今夜は兄と眠りたい

安堵が空虚を呼ぶの…か?





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