失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
心の裂け目
ほっとした瞬間は
魔の時かも知れない
虚無の中で兄と再び結ばれた
あの日から今まで
僕は兄というシェルターに抱かれ
不思議に日常すら取り戻したように
感じていた
家にいてまるで普通に両親と話し
学校ではコンテストの応募を通して
仲間ができ目標ができ
音楽が僕にとって何かがわかり
社会(ものすごく狭いけど)に
初めてカミングアウトした
全てが建設的でクリエイティブで
そんななか唐突にやってきた
今回の試練にもなんとか耐え
ヤツとの絆は強くなり
兄との信頼と感謝も心から感じた
なのに
いま感じてるこの空虚な気持ちは
なんなんだろう
無我夢中で積み上げてきたものを
ふと我に帰ったとき
(だから…なんなの?)
そう
この気持ちに理由はない
きっと
危機を抜けた安堵の中で
一瞬の無風状態が見せた
心の裂け目から見えたそれは
ガランとした空虚
なにを積み重ねても消えないような
空虚
僕はまだなにもない場所にいる
不意になにもかもが幻にすら感じる
砂漠だ…
蜃気楼に向かってるみたいに…
僕はいつの間にか走り出していた
まるで砂漠で水を求めるように
兄の帰還する家へと
焦躁か緊張かわからない切迫感
あ…苦しい
なぜこんなになってる?
まるで発作
兄貴…早く帰ってきて
自分の脆さに心が折れる
兄貴しか僕を支えられない
その愛しか幻ではないと
確信出来ない
家に着いた
ドアの前で息を切らして
バカみたいだ
でも崩れそうになる
兄しかいない
兄貴しか…いないんだ