失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
兄の父
兄は僕を抱くときに必ず言う
「俺を見ないで」と
僕はそれを聞くといつも悲しくなる
兄は自分が汚れてると思っている
僕はいつか兄が罪の意識で
自殺してしまうのではないかと
不安で不安でしょうがない
でも僕は必ず言う
「見ないよ…大丈夫だよ」と
兄は彼の父から教えこまれたことを
すべて僕になぞる
あまりの快楽に声が漏れそうになる
狭い家ではそれは許されない
しばらく前から兄は
し終わるといつも震えて泣く
僕は兄の頭を抱いて
泣き止むのを待つ
彼は声を殺して僕の寝巻きが
濡れるまで涙を流す
僕は彼がどれだけ壊れているか
母より知っている
兄には僕しか吐き出す場所がない
兄は彼の父を愛しながら憎悪してる
僕が物心つくまで兄は僕を愛し
父とも内緒で会っていたという
父親が彼に会いたかったし
兄は抱かれたかったという
あまりに小さい頃から抱かれていて
兄は兄の父が離婚してから
夜は全く眠れなくなり
悶えながら毎晩泣いていたという
あまりの苦しさに兄は何度も
死のうと思ったという
まだ小学校に入ったばかりの
7歳の子供が悶えて苦しんで
誰にも言えず死を考えてる
僕は兄からその話を聞き
あまりの彼の傷つきかたに
寒気と戦慄を感じた
僕がパニックを起こすほど
彼の話す心の傷は過酷に思えた
彼の父が離婚後しばらくして
内緒で彼に会いに来るようになり
兄は少しだけ安らぎ
そして母と新しい父親に対して
大きな心の負債を背負った
兄は父親からいつも
「絶対に秘密だぞ…誰にも言うな」
という言葉を聞いて抱かれていた
今兄は僕に同じように言うんだ
「ダメだよ…言ってはいけないよ」
と…
小さい頃僕はたまに聞いた
…なぜ?
言ったらどうなるの…?
…言ったらね
兄は答える
僕の首に手を掛けて
「…死ななきゃ」