失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
僕は息を飲んだ
兄は服からこぼれたのを気づかず
携帯の上にタオルをのせたのだろう
きっと兄はそれに気づいて
風呂に探しにくる
僕は動悸を押さえながら
震える手で兄の携帯を
バスタオルの下に戻し
風呂に入った
だめだ…見てしまう
見たい
兄の携帯の中にある
あいつの痕跡
見たい
いや…だめだ
兄貴…早く気づいてよ
早く取りに来てよ
でないと本当に僕は見てしまう
兄貴早く取りに来てよ
僕が出る前に…!
湯船に浸かりながら僕は
湯の感触も忘れるほど緊張して
自分が兄の携帯を盗み見る衝動に
必死で耐えていた
しかし兄は
携帯を取りには来なかった