失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】



それは

圧倒的な孤独と喪失感と

悲しみだった

心臓を後ろから鋭い剣で

刺し貫かれたような

絶望と諦念がそこに在った

身体がソファに沈んだまま

動けない

あまりに悲しくてなにかに

寄りかからずにいられないほどの

虚脱感

僕はそのまま上をむいた



あにがしあわせになるのなら

それでぼくはくだけても いい

いましなければならない

それがぼくのしめいならば



だから今はこれでいい

今は…そう一人の人間が

苦悩と孤独と罪に苦しみ抜いた

ひとつの人生を終える

その贖罪と別離の時なんだ

だからいまはこれで



…涙がとまらない

僕はバカだ

今まで一度も許したことのない

仇のような男をいつの間にか許して

兄を連れてきて

責めもせず

会ったら言ってやりたかった

山のような責め句を

ひとことも言わないで



でももう

言えることはない

現実にその人に会ったら

その人が全部伝わってきて

一瞬で自分の中の妄想と事実が

ふるいに掛けられて

事実なんか残りやしないじゃないか

母があの時…兄を道連れに

死のうとした悲しみも

僕の今までの想像を越えて

僕がなにもわかってなかった

それだけが浮き彫りにされる

母はあの人を愛してた

だから絶望した…死を選ぶほど



でも悲しくて

そして兄の重荷が軽くなる

という思いで

涙が止まらない



僕は

バカだ



いつの間にか手の中のミルクティは

冷えていた

僕はそれを飲み干し

そして同じものをもう一度

自販機で買い直した

手の中にまた温かさが戻ってきた

僕の心を僕自身で温めるかのように



いつの間にか僕の後ろに

兄が立っていた

「待たせて…ごめん」

兄は小さく言った

「あいつがお前呼んでる」

「僕を?」

「ああ…二人で話したいって」

「兄貴一緒に行かないの?」

「俺…ここで待ってる」


今度は僕の番だ






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