失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
「あいつに聞けなかったことを
聞きたい…君が知ってることを」
彼は少し疲れた様子で
ベッドに仰向きに横たわっていた
「あいつは俺が入院したことも
そもそも吐血して運ばれたことを
知らなかった」
彼は少し息が苦しそうだった
「あいつは何があったかはっきりと
言えないんだ…俺はあの日の前後に
起こったことをあらいざらいあいつ
に話した…あいつはひとこと『生き
てて良かった』とだけ言った…俺は
あいつに責められるのを覚悟してあ
いつに向き合った…だけどあいつま
るで魂が抜けたボロ人形みたいにな
っちまってる…君が言っていた『借
金のカタ』の事…ひとことも言わな
い…いや…言えないんだ聞いても答
えない…」
ストレスを吐き出すような勢いで
一気に彼は僕に訴えかけた
兄はほとんど話ができなかった
彼は兄から何か聞けると思った
予想を越えて兄は何も言えなかった
あれを僕が言えると?
僕こそ言えなかったんだ
だから兄を連れてここまで来た
ひとつの目的は果たせた
兄に彼の話を聞かせる
ねじ曲げられた事実を元に戻し
兄を救うために
でも僕に一番言えなかったことは
夏休みの宿題のように残り
また僕の手に返ってきてしまった
僕は立っていることが辛くなり
ベッドのそばのパイプ椅子に
ぐったりと腰を落としていた
緊張と弛緩と激情の繰り返しで
自分が疲れていることに
気が付いていなかった
…これから一番辛いことを
しなければならないの?
トライアスロンだ…
心臓が動くのが痛い
どうやって…どこから…なにを?
僕は黙りこんでしまった
これでは兄と同じだ
そう思いながら自分自身に
焦りが生まれ始めたとき
彼が思いつめたように切り出した
それは僕にとっては助け船だったが
その投げられたボールは
直球のストレートだった