失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
ふと兄を見ると
いつもの耳栓替わりのイヤホンを
兄がしていないことに気がついた
僕は思わず兄に尋ねた
「兄貴…音楽聴かないで大丈夫?」
兄ははっとして言った
「忘れてた」
それは良い兆候だった
「忘れてても平気ってこと?」
「あ…うん…そうだね…ホントだ」
兄自身が意外そうに笑った
兄のそういう笑顔を久しぶりに見た
僕の罪が少しは贖えただろうか…
また前のように兄に触れても
許されるだろうか?
でもまだ予断はしちゃいけない
僕は期待にすがりたくなる気持ちを
横に押し退けた
電車の中は暖かく僕はいつの間にか
兄の肩にもたれて眠っていた
長い一日が終わろうとしていた
だが僕のトライアスロンは
まだ終わってはいなかった