失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
その瞬間兄の手が
カミソリの歯を素手でつかんでいた
飛び込んできた兄の勢いで
僕たちはもつれあい
そのままベッドに倒れこんだ
「バカなことするな!」
兄は僕の手からカミソリをもぎ取り
キッチンに投げつけた
ガランガランとシンクに
金属の当たる音が響いた
「うわあああぁぁ」
僕は叫んでいた
僕の手をつかんだ兄を振りほどき
僕はベッドから転がり落ち
キッチンに突っ込んで行った
「やめろっ!」
兄は間髪入れずに
僕を後ろから追った
僕はシンクの中のカミソリを
取ろうとして手を伸ばした瞬間
追い付いた兄がもの凄い力で
僕を後ろから羽交い締めにした
「やめてくれ!頼むからやめろ!」
「兄貴には僕を止める権利なんかな
い!僕に死ねって言ったくせに」
「そんなこと言ってない!」
「言ってるんだよ!分からないの?
僕に死ねって…僕から全てを取り上
げるって!…兄貴を僕から取り上げ
るって!」
僕はシンクに手を掛けたまま
床に泣き崩れた
「兄貴…もう涙が涸れてしまうよ…
ずっと泣いて…泣いて…ずっと泣い
てばかりいるんだよ…もう泣きたく
…ないんだ…」
なんでこんな悲しいことばかり
涙がキッチンの床にボロボロと
こぼれおちた
「血を…血を止めなきゃ」
兄がキッチンの横にかかっていた
タオルを取り僕の手首を縛った
兄がカミソリを取り上げたせいで
僕の傷は動脈から逸れていた
兄の手の平も切れて血まみれだった