失われた物語 −時の鍵− 《前編》【小説】
でも
と僕はその時なぜか
思い巡らせていた
なぜ
彼は空っぽだったの?
なぜ
母さんと結婚したの?
なぜ
死の間際まで気がつかなかったの?
兄を愛してたことを…
なぜ
なぜあの人は
こんな人生を選んだの?
すべてのはじまりのなぞをのこして
彼は旅立って行った
兄がこちらを振り向かずに言った
「ひとりに…させて欲しい…今夜だ
け…」
今夜だけ
僕は返事の替わりに兄の手を握り
ひとり病室を後にした
降るような星の下を
バス停に向かって歩いた
処置をし忘れた手首の傷が
切なく疼いた