キミがいなかったらこんなに恋い願うこともなかったよ。
どうやって帰ってきたか分からない。

気が付けば森の中を走ってて。

気が付けば家で、自分の部屋で。

ただ、声を殺して泣いていた。

椿が手を握って涙を流す、その記憶を思い出すたびに苦しくなる。

そして後悔の波に襲われる。

俺は一体どうしたというのだ。

変なものを見ただけだというのにおかしすぎる。

しばらくして泣くのを止めると、梓は庭へ向かった。

半ば無意識に万年桜へ向かう足に自嘲しつつ、桜を見上げる。

いつみてもその美しさは変わらない。

不意に、頭に桜の花びらが一枚落ちた。

それはまるで頭に手を置かれたような感覚になる。

もしかしたら慰めてくれているのかもしれない。

「・・ありがとう、な」

見上げてお礼を言うと、花びらが風に吹かれることなくざわめいた。

母さんがいたらきっと桜のことが分かったんだろうな・・・

幹にそっと手を沿えながら昔を懐かしむ。

万年桜の巫<カンナギ>だった母。

梓の家系に安泰をもたらす万年桜を守る母はいつも桜に話しかけていた。

「・・・そうだ!」

母がやっていたやり方で行えば、万年桜は答えてくれるかもしれない。

この桜は何年もこの家の人を見てきた。

もしかしたら、先程のあの日記の女のことも分かることになる。

そしてあの万年桜の側にいた“梓"のことも。


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