【企】携帯水没物語
里奈が自殺してから、大人は語るようになった。
ニュースのキャスターが語る、政治家が語る、タレントも、歌手も、スポーツ選手も、漫画家も、評論家も……
みんな好き勝手に『高校生』を、とりわけ『女子高生』を語る。
いじめだの教師の体罰だの思いつくことの全てを片っ端から口にしてるんじゃないかって思う。
ニュース番組に出てきた大きなボードには、里奈の自殺と何の関係があるのか、テレビゲームやケータイ、暴走族、リンチ……
なんだか別の世界の話をしている。
自殺したのは
里奈なのに、
死んだのは
里奈なのに、
大人が語っているのは、『現代』の『荒廃した社会』の『かわいそうな被害者』の『女子高生』だ。
里奈もまたくくられようとしている。
『女子高生』という一つのブランドとしてしか社会は里奈は扱われなくなっている。
わかるなんて絶対に言わないけど、『高校生』や『女子高生』や、はたまた『中学生』なんかのブランドが、事件があるたびに売れるのは、多くの人が『高校生』はどこかで接点があるからだと思う。
もしくは、『高校生』が悪いことするはずがない、なんて思い込みたいのかもしれない。
理想を押し付けられたって、私達にはかわるつもりはないのに、だ。