透明な翼
この子も僕やさくらと同じ目に遭えばいいと思った。

そうすればこの気持ちが……泣くに泣けない辛さが分かるだろう。

僕は椅子から立ち上がった。

「人の家の事情に首を突っ込まないほうがいいよ」

君は平和にぬくぬくと育っていればいいんだ。

沸々と怒りのような感情が湧き上がってきた。

この子に怒るのは筋違いだと分かっていても抑えられない。

その場から、彼女から逃げるように歩き出した。

「待って! ごめんなさい!」

君が謝る必要はない。

君は何も悪いことはしていないんだ。

僕もさくらと同じかもしれない。

平和ボケした奴等が気に入らない……。

「あの……わたし翠! 平岡 翠(ひらおか すい)ってゆうの!」

立ち止まらない僕に必死に話しかけてくる。

それでも止まらない僕に痺れを切らしたのか、自分も立ち上がって追ってきた。

右腕の袖を掴まれる。

「あなたは……あなたの名前は?」

面倒くさい。

本当に何なんだこの子は。

早くこの場から立ち去りたくて翠と名乗る子の要望に応えた。

「綾瀬 幾斗(あやせ いくと)」

じゃあね、と小さく呟いて腕を振り払った。

「幾斗くん! 気分悪くさせてごめんなさい!」

僕の背中に向かって叫んでいる。

今度は応えずに無言で病院を出た。

「……騒がしい子だったな……平岡 翠」

車に戻ると翠の泣きそうな声が頭の中で響く。

……ちょっと悪いことしたかな。

そう思ったけど謝りに行ったりはしなかった。






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