堕ちた天使と善良な悪魔。
「いや、特には」

 なぜか不安げに聞いてきた奈津美だったが、その顔がぱっと明るくなる。

「じゃ、じゃあさ、夜、学校に行かない?」
「いいけど、なんで?」

 なんで夜に学校なのか。肝試しをするには少し季節が違う気がする。

「もう、月とか星とか好きなくせに知らないの? 水曜日、十月八日は皆既月蝕の日だよ? 月蝕の日には潮力の関係で天気が悪い日が多いらしいんだけど、その日は珍しく晴れるんだってさ!」
「へえ……面白そうだね。でも奈津美、星とか興味あったっけ?」

 む、と奈津美が口ごもる。

「そ、それは……ほら、真夜が夜空ばっかり見てるからさ、面白いのかなーって! そんだけ!」

 両手を顔の前でぱたぱたさせながら、早口でまくし立てる。奈津美は慌てると、僕を本名で呼ぶくせがある。

 別に空を見ることが面白いわけではない。ただ、そうしていると落ち着くだけだ。空は世界中と繋がっていて、そのどこかに、僕が待っていて、僕を待ってくれている誰かがいるんじゃないか……そんな幻想に溺れたくて、僕は空を見ているのかもしれない。

「まあ、いいや。水曜ね。わかったよ」
「うん! じゃ、また明日学校で!」

 奈津美は僕を公園に残し、急ぎ足で駆けていった。

 僕は彼女の背中が見えなくなるまで見送った後、立ち上がる。コーヒーを飲み干し、ごみ箱に放り込むと、近くにある自宅へ歩き始めた。

 ポケットの中で、銀時計が、かちりと音を鳴らした気がした。
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