Circus
第弐章「人」
 僕がここに連れて来られ、この研究に加わったのはごく最近のことだった。それまでは、ずっと普通の人たちと同じように『施設』に移り住み、家畜の世話をする毎日だった。それ以外何もすることも無く、ただのんびりと牛や豚、鶏の世話をしていた。僕の周囲にいた人々は、僅かな希望を持って協力し合い、助けあっていた。もちろん、不平不満を言い、何事も真面目にやらないでいる者もいた。しかし、僅かに心に豊かさを持った人間も残っていた。僕にはそれが救いだった。家畜が病気を患ったときは僕が治していた。良くなったときは皆が喜んでくれた。そして、その自分達が大切に育ててきたものを、自分達が生きるために食すということも、全てのものと共存する生命の重大さを改めて認識させられた。生きている事が新鮮だった。

 それらの労働以外は何も無かった。夜になれば僕は本を読み続けた。『施設』には生活必需品以外は荷物になるため持って来る事を禁じられていたが、誰もが何か大切な物はこっそりと持ち込んでいたようだ。また、少しは余裕が出てきていたのか町を巡回している特捜部隊などが一部のものを持ち帰り、我々に与えてくれていた。ただ単なる、不平を言うものたちへの口封じなのかもしれないが。そのくらいは許されたのか、彼らも自分達のわがままを主張したのか。
 本を読む以外は、仲の良い人たちと談話した。僕は自分が医者であることは少し漏らしていたが、詳しいことは伏せていた。病気を患い困っている人がいれば、何も言わず全力を尽くした。それにより、周囲は僕を慕ってくれた。それが僕にはとてつもなく幸せな空間だった。だから、必要以外のことは何も言わなかった。もう1つの『施設』の存在は、一般の人間も皆知っていた。何をしているかまでは伝わってはいなかったが、”X”を殲滅するために国家が何かしているのだろうということは判っていた。政府のシステムが生きている以上、いずれ、僕の素性はばれるであろうとは思っていたが、その世界をなんとなく知っている僕には、戻りたくない空間に感じていた。人々に慕われ愛される、この幸せを奪われたくは無かった。だから、黙っていた。
< 4 / 15 >

この作品をシェア

pagetop