見えない糸
思惑
紗織は戸惑っていた。

オジサンと暮らしてから、今まで一度も"記憶を戻す治療"の事について話が無かったのに、急に言われたからだ。

『別に…このままでもいいのに…』

ベッドに倒れ込み、天井を見上げた。

過去の記憶が無いことで、苦労した事は無かったし、辛いと思った事も無かった。
記憶よりも、オジサンから沢山の愛情をもらっていたから、それだけで良かった。

今度は自分が、オジサンに恩返しをする番だと思っていた所に、この治療の話をされたのだ。

『オジサンは、アタシと一緒にいることが、イヤになったのかな…?』

ネガティブな考えばかりしか出てこない。

オジサンの真意を聞きたかった。
記憶を戻して、どうするの?
アタシは、このままでいいのよ?
何の目的で、治療したいと思ったの?

今すぐ聞きたかったけど『まだ仕事がある』って言ってたから、聞く事も出来ない。

不安で胸が押しつぶされそうな、そんな気持ちになった。

「落ち着かない…」

紗織は部屋を出た。

向かい側の直次の部屋からは、カタカタとパソコンのキーボードを押す音が聞こえる。

『忙しそう…』

静かに階段を下りてキッチンに入った。

ココアを淹れソファーに座り、それを一口飲む。

「はぁ…あったかい…」

ホットココアは好きな飲み物。

お酒が飲めない紗織にとって、気分を落ち着かせるアイテムの一つだった。
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