見えない糸
紗織の中では、過去の記憶が“無くて普通”になってるかもしれないが、でもそれは“普通”じゃない。

特に、自分の親の事すら分からないのは、とても寂しく悲しい事だ。

もっと早くに、過去の記憶を取り戻す治療をするはずだったが、紗織の思春期と時期がぶつかる為、高校を卒業するまで待っていたのだ。


「オジサン…すぐ返事しなきゃダメ?」

「すぐじゃなくて構わないよ。沙織のタイミングでいいから」

「そう…わかった。じゃオジサン、アタシお風呂入ってくる」

「ん?ああ…」

紗織はテレビのリモコンを直次の側に置くと、サッとリビングから出ていった。


『紗織に話して良かったんだろうか?
まだ早かっただろうか?』

そう思いながらタバコに火を点けた。

医師として、父親として、彼女の幸せを願うため、当然の事を言ったまでだ。

けど“本物の父親”は、そうしただろうか?

直次は深い溜め息をついた。

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