見えない糸
お風呂から上がりリビングに入ると、紗織はいなかった。

どうやら自分の部屋に戻ったらしい。

冷蔵庫からビールを取り出し、その場でゴクゴクッと飲んだ。

「さて…どうしようか」

紗織を、どう説得したらいいか…

あれこれ考えたけど、あくまでも直次の、医者としての思いであって、紗織自身の思いを無視した形になる。

長い間、紗織の記憶が無かったのに、急に全てを呼び起こさせるのは…

冷蔵庫から缶チューハイを1本取り出し、直次の部屋に向かった。

紗織の部屋は、直次の部屋の向かい側にある。

「紗織」

ドアをノックして声をかけた。

「なに~?」

部屋の中から紗織が返事をする。

「いや…何でもない…」

次の言葉が思いつかなかった。

部屋のドアが開くと紗織が

「どうしたの?オジサン」

と、顔を出した。

「いや、リビングにいなかったし、俺ももう少し仕事するからさ」

その場で思い付いた、適当な言い訳を言った。

「そうなんだ。仕事まだあるのにチューハイ飲むの?飲み過ぎたら仕事にならないわよ?」

クスクスッと笑いながら紗織は言った。

「ああ、気を付けるよ」

直次も笑いながら答えた。

部屋に入り、またパソコンの電源を入れる。

タバコに火を点けると、直次はまた考え込んだ。

『急がなくていいよ』

そう言ったのに、早く治療を始めないとと思ってしまう。

「俺は父親としては失格だな…」

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