見えない糸
この時間、紗織の隣で、一体何本のタバコを吸ったんだろう…
紗織の目も見ることが出来ないまま、まるでタバコに逃げてるようにも見える自分の情けない姿…
過去の記憶を取り戻す事なんて、自分は何人もの患者を診てきたし、記憶を取り戻して喜ぶ患者の家族たちも見てきたし、みんなに感謝されていた。
でも、今の自分はどうだろうか?
医者としての自分と、患者の父親としての自分。
医者の立場なら、患者の記憶を取り戻すための治療は、間違っていなかった。
じゃぁ…父親の立場なら…?
紗織にとって、忘れたままで良かった記憶が、自分のせいで思い出され、しかも、思い出す前よりずっと苦しみ悲しんでいる。
酷い父親としか見えない。
「先生…驚いたでしょ…?」
目を真っ赤にして、紗織は直次の方を見ながら口を開いた。
「紗織…」
それ以上は何も言えなかった。
「先生には全てを話さないとならないね」
紗織は涙を拭うと、ちょっと待っててと言って、キッチンに向かった。
「先生もコーヒー飲むでしょ?」
「ああ…」
落ち着きを取り戻そうとしてるのか、その姿がなんとも痛々しかった。
キッチンに立つ紗織は、直次の方を見ようとしない。
何度も溜息が聞こえる。
「紗織、言いたくないなら言わなくてもいいんだぞ」
でも返事は違っていた。
「何のために治療したのよ。結果をちゃんと報告する必要があるわ。そして、それは…父親代わりに、今まで育ててくれた先生に、全てを伝えなくちゃならない」
コーヒーを運びながら、紗織は真剣な眼差しで直次に言った。
そこまで覚悟してるのに、自分はオドオドしてしまって…
どこまでも情けない父親だ。