求愛
タクシーに乗って自宅マンションまで戻り、一度呼吸を整えてから、ドアを開けた。


玄関には、春樹の靴と、そしてお母さんのミュール。


それを確認し、リビングまで行くと、ふたりは向かい合わせで座っていた。


やっぱりお父さんは今回も帰国しなかったらしいが。



「どこに行ってたの?」


お母さんの問いには答えず、春樹の左隣の椅子へと腰を降ろした。


彼はあたしを一瞥するが、でも互いに目を合わせることはない。



「まったく、どうせこんなことだろうとは思ってたけど、親のいない間に一体何をやっていたんだか。」


まるで吐き捨てるように言ったお母さんは、苦虫を噛み潰したような顔であたし達を見比べた。


ねぇ、そろそろ若作りなんてやめれば?


と、言ってやろうかとも思ったが、面倒なのでバッグの中から煙草の箱を取り出した。


すると彼女はキッとこちらを睨みつけ、



「いい加減にしなさい!」


バチンと乾いた音が響いた。


その瞬間、手から零れ落ちた煙草がばらばらと床に転がっていく。



「あなた達は揃ってろくに家にも帰らず、悪い連中とばかり遊び歩いて、恥ずかしいと思わないの!」


ひとりで怒り、息を荒げるお母さんの姿が、ひどく滑稽なものに見えて仕方がない。


だってあたしから言わせれば、その似合わない真っ赤な口紅をつけていることの方がずっと、恥ずかしいことだと思うから。



「何とか言いなさいよ!」

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