椿戦記
李漢はすっかり椿に情が移ってしまっていた。
だからこそ、無言で突きや蹴りを繰り出す椿を見るたび、胸が締め付けられるような思いがしていた。
もちろん、師のやり方が間違っていたとは思わない。
椿家で生きていくためには必要なことであったのだろうし、実際、死海を渡って、ここに椿が辿り着いたのは、間違いなく、その成果だった。
そしておそらく、師が自分に求めているのは、椿を一流の武人に仕上げることであろうことも、見当がついていた。
この血塗られた道を歩いていく以上、彼女に必要なものは、それに他ならなかった。
*
村の暮らしは忙しく、月日が流れて行くのを感じながら、椿は都での暮らしが全て幻だったかのような、不思議な気分に陥ることがあった。
まだ二月ほどしかたっていないのに、祖父と過ごした日々が遠い過去の記憶となり、ぼんやり霞がかかったかのようになって、はっきりとは思い出せないこともあった。
夕暮れの、西日が差し込む馬小屋で、敦慶の美しい栗色の毛を刷毛で梳いきながら、椿は、よく物思いに耽っていた。
(なぜ…)
自分の周りで人が死ぬことは、当たり前だった。
ずっとそれを見てきた。
欲と権力に溺れた大人たちが、毒を使うところを、柱の影から何度も目撃した。
冷たくなった人間の身体に手を当て、一晩中そうしていたこともあった。
それなのに、初めて自分が殺した父親の断末魔の顔が、終始目の奥にちらついていた。
血の臭いが、不意に鼻の奥に蘇る。
そのたびに、椿は酷く息が詰まり、胸が痛むのとともに、そのもっと奥で何かが疼く。
その疼きは、どこか心地よく感じられた。
父親を、柔らかな豆腐のように切り裂いたあの一瞬、自分を殺しにきた父親を前にして、圧倒的な優位に立ったあの瞬間、自分は恐怖や罪悪感よりも、快楽を感じていたことを、椿は悟った。
椿は目をつぶって、額を敦慶の首に押し付けた。
夕焼けの空が闇にかわるまで、そうして目をつぶっていた。