駆け抜けた少女ー二幕ー【完】
「接吻は?」
「…キ、キス」
「きす、か」
不意打ちなんて狡い。
そして冷静な永倉が腹立たしい。
「新八さん狡いよ…」
「は?」
「だっ、だって私ばっかりドキドキさせられてるもん」
プイっと顔を背けてしまった矢央には分からないが、今永倉はとても嬉しそうに微笑んでいる。
可愛くて愛しくて堪らないといったように。
「なあ、矢央」
今度は何だろうと恐る恐る振り返る。
しかし永倉は何もするつもりではないようで、夕日に照らされて赤く輝く川を眺めていた。
もう夕方なのかと、時間の流れが早いことを恨めしく感じた。
「俺と左之は新選組を離脱した」
言葉が出てこなかった。
この時がとうとうやってきてしまったのかと、グッと唇を噛んで次の言葉を待つ。
「あんま驚かねえんだな。知ってたのか?」
「…私、この前お華さんに未来を見る力も授かったんです。それで少しだけ」
「そうだったか。俺はこれから会津に向かう。左之と靖共隊に入ることも決まった」
この話は最後まで聞かなければならない。
永倉が矢央に会いに来たのは、きっとこれを話すためだからだ。
でも聞いてしまえば、この楽しい幸せな時間は終わってしまうのだろう。
だから耳を塞いだ。
意味のない行動だというこは分かっていたけど、矢央に出来る小さな抵抗だった。
「江戸を出るのは明日だ。多分そのうち土方さん達も江戸を出るだろうから、矢央お前は」
耳を塞いだままの矢央を見て、胸がチクリと痛んだ。
自分は残酷なことをしている。
自惚れているわけではないが、惚れてる男が戦から無事に帰ってきて喜んだのも束の間、また直ぐに戦に向かうのだ。
しかも江戸を出て危険な会津に向かう。
その意味を矢央だって薄々分かっているはず。
会いにこない方が矢央のためだったのかもしれないと、足を運びながら何度も戸惑った。
しかし玄関先で矢央の姿を見つけると、会いたい気持ちが増した。
これは自分の我が儘だろう。
矢央を悲しませると分かっていても、永倉は矢央に会って抱きしめて思い出を残したいと思ってしまった。
生きて帰る保証のない自分を待つなと伝えるつもりで来たのに。
「矢央、総司は元気か」
そっと手を耳から離し尋ねると、戸惑いながら小さく頷いた。
「総司は矢央がいるなら大丈夫だな」
潤む瞳が見つめてくる。
直接言わなくても伝わったのだろう。
沖田の傍にいろということは、永倉が矢央を迎えに来たわけじゃないことを。