蜜蜂
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「…杏花は…【澤木杏(サワキアン)】として生きてて…平気なの?」


俺の口から溢れた言葉は、風に飛ばされそうな程微かな声だった。


「…うん、大丈夫だよ。」


俺の言いたいことがわかったのか、そう答える彼女。
彼女の瞳は、もう、俺を見つめていなかった。
代わりに、掴んだ腕の微かな動きから、彼女がぎゅっと手を握るのを感じた。




俺、ばかじゃん。どうして気づかなかったんだよ。




俺だけが彼女の名前を知ってると思って、嬉しかった。
俺だけは”特別”なんだ、と。



でも、本当は違うんだ。



名前を呼ばれないということは、そいつらの中に杏花は存在しないと言うことで。
杏花は、【澤木杏花】としてではなく、【澤木杏】として今を生きてることになる。



もし俺がそうだったら…考えるだけで嫌だ。
なんて、酷く残酷な現実だろう。




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