脳脊髄液減少症闘病記と命の大切さ
第1回目のブラッドパッチ手術が終わりました。その後がとても辛かったです。その日は病院のある長岡市内のお祭でした。しかも花火大会。テレビ中継はやっていましたが実際に見ると全然違うのでしょう。頭が痛くて熱が出ていましたが、面会室に行って花火を見ていました。他の患者さんもみんな見ていました。翌日主治医が来ました案の定怒られてしまいました。「手術の翌日なのに立っていたらダメだろ」私はずっと寝ているのは辛かった。何故かそれはずっと寝てるのかが辛くてどうしょうもないくらい辛かったからです 余計なことばっかり思いだしてしまうからだと思います。私だってみんなと一杯楽しいことしたい。そして一杯恋愛しかった。それは不思議なことでしょうか。何故そんなことを思ってしまうのでしょうか。
そんなことを考えているうちに第1回ブラッドパッチ手術の効果が全然期待出来ないものでした。薬で顔が膨れました。ずっと点滴治療が続きました。3日くらい針を入れるとそこの針の通りが悪くなってしまうので抜かなければイケません。 抜くのは良いのですがもう1回新しい針を入れなければイケませんでした。その針が大人用ですので子供より長い針なので静脈に刺す時に相当の痛みを伴います。私は「ずっと点滴なのかな?」「脳脊髄液減少症って治らないのかな?」などと思いながら点滴をしていました。
起き上がる度に起こる頭痛、検査や手術で余計に悪くなった腰の痛み、首や手の痺れがありほとんどベッドの上で過ごしていました 顔は点滴と薬で膨れ上がりました。「何で俺だけこんなになるんだ。」「俺は何悪いことしたんだ」と考えていました。みんなの笑顔が思い浮かび夜も眠れませんでした。
看護師さんに八つ当たりをしてしまったこともありました。俺はずっと入院していなければイケないのかな… などと考えていました。
主治医の医師の回診で「2回目のブラッドパッチを8月14日に行いましょう。」と言われました。
2回目のブラッドパッチは血液造影をして行われることが決まりました
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