しゃぼんだま

次に、「有限とは何か」を考える。
例えてみよう。
卵を高い所から床に落としてみる。

すると必ず割れるであろう。

それは、"この卵"を"この床"に落としたからである。
では明日は割れないのか。
明後日は割れないのか。
2日後、7日後、1年後、さらにはいくつか月日たったら割れないのか。

答えは、「割れる」であろう。

これには『悪魔の証明』は通用しない。
何故なら"この卵"だからだ。
いくつか月日がたったら、いつかは"割れない卵"なんか出てくるであろう。

しかし、"この卵"は割れるのだ。このまま、何も変わらず、何も起こらなかった"この卵"と"この床"ならば。
だから『悪魔の証明』は効かないのである。


だから"無限"が出来る。


"この卵"で"この床"ならば、『悪魔の証明』が効かないからである。いくら無限に月日が経とうとも、この状況が変わらなければ「割れる」と言う事実は変わらないのだ。



だから"有限"あってこその"無限"なのだ。

矛盾している様に見えて、矛盾していない。


まるで『影あってこその光』だ。




何故こんな長い説明をしたのか?


私は貴方の"影"に成りたいから。


ただの"影"じゃない。

貴方という"光"をより『無限に』光らせることの出来る


暗いけど暗くない


貴方に"必要"とされる


星を際立たせる綺麗な綺麗な


闇の様な




影に……




無限に誓えるか分かんないよ?



でも誓いたいな。







……無限に、貴方を 愛します…………

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